2009年8月30日日曜日

LOVE DECADE

90年代は飽和
00年代は混沌
そして来る10年代のキーワードは何だろうか。

不思議な因果だが、
どれも89年、99年、そして偶然にも09年に
変革のときが訪れたようだ。

89年はベルリンの壁が崩壊し、
東西冷戦が終焉を迎えて、カルチャーのポジティブな流動と
アメリカ経済の復活によって、風船はどんどんと膨らんだ。
そして99年、ユーロが導入されドルの対抗馬として
ヨーロッパの経済が成長をはじめ、マネーゲームに
世界中が巻き込まれていった。
途中、911を経験し、虚業のマネーだけでなく
戦争という負の産業にも巻き込まれ、
カオスに世界中がもがき続けた。

そして今09年。
何よりもまず、「CHANGE」を掲げたオバマ氏が初の黒人大統領に就任。
それに触発というか、当然なのだが、ここ日本でも今日民主党が大勝。
さらにカルチャーの分野でも
20世紀最高のアイコン、マイケル・ジャクソンが亡くなったことで
時代の象徴が、変化消滅している1年なのだ。

この白人と黒人、イエローモンキーすらを超越した
マイケルという存在が死をもって、私たちに投げ掛けた最大のテーマがあると
知人に熱弁を受けた。
それが「愛」である。
二人してすぐに「愛だろっ、愛」という90年代のお酒のCMを浮かべ
80年代ブームが頂点に達した今、
90年代リバイバルの予兆すらも見え隠れしていることに、偶然にも気がついた。

話を「マイケルと愛」に戻そう。
知人曰く、マイケルほど愛を訴えたアーティストはいないのだという。
愛を惜しみなく与えることで、彼はアーティストの使命を全うしていたのだと。
スキャンダラスな90年代はマイケル的アプローチが飽和を迎え
一足先に、エンタメ業界のカオスに巻き込まれていったらしい。
マイケルが、いかに愛情深いパフォーマーだったかは、
知人の意見で、私が検証しているわけではないが、
一考する価値ある提議だ。

そして、知人が最も力を入れて語ったのは、
「そんなマイケルが死ぬことで、愛(マイケルという存在)を世界は失ったからこそ、
今ようやく人々は愛とは何かを自ら見つめ直すときがきた」とのことだ。
若干、いや多分に宗教じみているとは思うが、
私もなんとなく彼女の意見に賛成だ。

マイケルの死を、09年からスタートする
10年代のキーワード「愛」の象徴とするかは、人それぞれだろうが、
金に振り回された世界中が、
何を拠り所に、何を信じて、何を人生の指針にしたらよいかといったら、
「それは愛だ」という意見は
なかなか世の中を見抜いていると思う。

私もこれから、少し考えてみたいテーマだと思っている。
さてみなさんはこの理論、どう捉えるだろうか。

2009年8月13日木曜日

NO MORE 711

アメリカ人というのは、徹底しているなぁ、
と以前友人を見ながら思ったことがある。
まだブッシュ大統領が1期目在任中のときのこと。
2期目を争う大統領選挙を前に、彼はベジタリアンになった。
理由は、米食肉業界のマネーがブッシュの選挙資金に流れているから、
とのことだった。
さらに、当時契約していた携帯電話会社も、その資金がブッシュ陣営に
資金支援を行っているということから、彼は電話を変えた。
自分の生活を、政治と身近なところから繋ぎ、意思表示をする姿勢に
当時の私は驚いたものだ。

時間は流れて、2009年の夏。
私も、彼のような意思表示を行ってみようか、と思っている。
その企業態勢に賛同できない、
もっと言うと反対したい場合は、
その会社の製品を買わないとか、ボイコットすることを考えたのだ。

セブンイレブンのニュースを見ていて、「これは!」と思った。
ニュースによれば、
お弁当の値引きを行った契約店舗を
来年をめどに解除するというのだ。
なんて理不尽な! 
しかも、公正取引委員会から、その内容について排除命令を受けたばかりなのに。

特約店のことを思うと、
というより、そんな強引な話があるかってことだ。
なので、しばらくセブンイレブンに行くのをやめようと思う。

確かにセブンイレブンにもいい面はあって、
セブン銀行もありがたいし、
商品のセレクトもけっこう好きだったりするのだが、
いや〜、特約店解約のニュースには、
納得できなかった。
権力を武器に、言いたい放題、やりたい放題、
というのは、許し難い。

私一人が、その会社の商品を購入拒否したところで、
会社の損益には何の影響も与えないだろう。
しかし、自分と、社会と、政治というのは、繋がっているわけで、
「大変だなぁ」と対岸の火事をただ眺めているだけ、
というのはちょっと違うのではないだろうか。
一人の力は微々たるものだけれど、
それでも個人が社会へ何かのアクションをしていくことが
必要なんだと思う。
それこそ社会を作っているのは、無数の個なのだから。





2009年8月10日月曜日

LEGAL ADDICTION


私の中の中毒性は何かなー、とふと考えた。
いや、ここ最近のワイドショーを賑わしている薬物汚染のニュースから
考えてみた。
私はドラッグはもちろん、タバコもやらないし、ギャンブルもしないので
あ、アル中でもないけれど、なんかあるはずだ!
と自分を強引にチェック!!

……え〜と。

1 ネット中毒症(手があいてればインターネットをしてるなー)
2 ガム依存症(強引に集中しなくちゃいけないとき、2個噛みマスト)
3 捨てたい症候群(イラっとすると物を処分したくなる)
4 グーグルシック(検索しちゃうんですよ、つい。下らない事を)
5 ネコになりたい病(※重症ですコレ。現実逃避したいときは常に
            ネコになりたいニャン♪と思ってしまう、、、)

あるわ、あるわ
偏りが、自分にも。
比較的、標準的な依存の数々だと思うんです、5以外は。
5は、まぁ、ここに代わるものが
リーガルかイリーガルかの、入り口だろう。


けれど、どれも媚薬にもならないところが、
快楽とも遠く、
麻薬ほどの依存性もなく、
つまり、常人ということだな、とひとりごちてみる。

2009年8月8日土曜日

GREAT DEATH

休=終

2009年8月6日
ある雑誌が休刊(事実上廃刊)を迎えた。
30余年前、かのアンディ・ウォーホルが創刊した
米Interview誌の日本版として出発し、
深遠なカルチャーをポップにクリティカルに捉えてきた。
時代を作ったこともあった。
読者を煽動したこともあった。
面白かったことも、マンネリだったことも、オタクだったことも。
それに、どの雑誌にも起こる大抵のこと
(人事や収支や、部数の増減など出版ビジネスの難題の数々)は、
通ってきているし、
いやそれ以上によくも繋いできた、とも言えるかもしれない。
けれど、最近の雑誌休刊の嵐のなかで、
この雑誌が唯一だと思うのは、
最終号まで、存在意義がぶれなかったことだと思う。
尻すぼみでもなければ、
締めくくりだけでもない。
デザインもビジュアルも、内容も、キャッチも
今のカルチャーの的ど真ん中を射抜いている。
気障に言えば、
美学を貫けた、ということだと思う。
クレジットされた編集者たちのプライドを感じる
素晴らしいlast issue、だったと思う。


GOD BLESS YOU






2009年8月3日月曜日

ROAD TO SUCCESS

悩める子羊の私。
いえいえ、可愛いこぶってるわけではないのですよ。

ついつい手にしている書籍を並べると、
つまりは同じテーマばかりを選んでいて、
それがいわゆる自己啓発本だということだ。

ね、私そんなに自分をどこかへ導きたいのか??
と自問してしまうというわけ。

これまでにも、買ってはブックオフへ売り、という
行動を取ってきた結果、
「だいたいは分かってるわけで、
著者と文句と装丁が違うだけ」と自分に言い聞かし
去年「ザ・シークレット」を最後に買うのをやめた。

この一冊は強力なパンチがあり、半ば
幸福論暗示の脅迫を受けていたかのようだった。
何しろ、すべてがオールOK、宇宙は私の掌にあるといわんばかりなのだ。
いや、間違ってはいないのだが、
人間千差万別なので、自分テイストに読み替えていかないと
たぶんハッピーな暗示掛けのはずが、呪縛になりかねないくらい
背中をずんずん押されて、足が自然に動いちゃって自分じゃ止まれないような
ウルトラ前進モードにさせられてしまうのだ。

さすがアメリカ、と頷いてしまった。
アメリカでもベストセラーだったわけだし。
人生上り詰めてこそ、
夢は叶えるためのもの、
ネバーギブアップ!!

そんな強気な姿勢も嫌いじゃない。
けれど、一度体調を崩した私は、私にとってはちょっと威力が強すぎると思い、
もう少しのんびりモードでも許されそうな
バイブルを求めて書店を巡ること暫く、
2冊を発見!

私みたいなのほほんモードのあなたにも、
これはきっとハマるはず。

『大人のおまじないで人生が変わる! 
 ココロの教科書』 ひすいこたろう/スズキケンジ共著

『2週間で一生が変わる魔法の言葉』はづき虹映著

これはいい2冊です。
とにかくどんな自分でも受け入れてくれる状態からスタートしてるので
あなたも気がつけば、おまじないを唱えてるはずです。
で、ちょっとほっとして笑顔で眠りにつけます。


とはいっても総じて言っていることは全く同じです。
簡潔に一言いえば、
「信じる者は救われる」ってことです。
自分信じて、プラス思考で、頑張れば、成せば、成る!!
ということです。

至極簡単な理論をどうして世界中で
毎年毎年タイトルを変えて出版されるのでしょう。
しかもいつでも話題に上る分野で、
いつでもベストセラーが生まれるジャンルです。

それだけ、いつの世も人間は何かに頼りたい生き物だということでしょうか。
よりよく生きることに、必死ということでしょうか。
でも堕落がいかに素晴らしいか、と説く本はアングラに留まるという事は、
やっぱり人間、そもそも上を見て歩いて行きたい動物だということですよね。
そう思えば、
放っておいても、いつかは自ら前進しようとする、と言えそうだし、
ルンルン♪とのんびりしていても、
幸せ方向に歩いているってことかな。

と理屈を飛び越えたところで納得して
終わりにしたいと思います。

ご清読ありがとうございました!


2009年8月2日日曜日

KINOKUNIYA LADY

話の発端は、ガールズトークだったと思う。
例によって恋愛トークに盛り上がっていたわけだけれど、
この日の展開は冴えまくっていたと記憶する。
爆笑、納得、提案、熟考、
くだらないネタながら、結構議論に足るトピックスだった。

将来どのスーパーマーケットにお使いにいくか、
名付けて「スーパー問題」だ。

日々の食材調達は、主婦なら、いやいや生活する者
誰もが行うベーシックな消費行動。
郊外型の巨大スーパーや
中堅チェーン店、
電鉄会社から派生した沿線のスーパー、
地元密着の個人スーパーに、
都内の高級スーパーまで
日常のことながら、なかなか選択の幅が広いといえる。
当然品揃えも違えば、取り扱い商品のそのランクにも違いがある。
生鮮食品に関していえば、鮮度がすべてだと思うので、
スーパーよりも、市場や地域の農家から買うのが
ま、美味しいだろうと思うが、そうもいかないからこそ、
「よいものを置いている」スーパーのチョイスが
重要になってくる。

ここでようやく本題なのだが、
要は、どのスーパーに出入りできるライフスタイルになりたいか。
というのが議論の核なのだ。
その人の稼ぎっぷりによって、
スーパーの価格設定に呼応していけるかどうかが決まるというわけである。
これは衣食住の共通トピックスともいえるわけで、
それをより具体的にセグメントできる、
我ながらナイスな価値基準だと思う。

ファッション業界に生息する私たちは、
一着数十万のジャケットから、一枚750円のTシャツまで
ありとあらゆるランクの洋服たちに触れている。
自分がどういう服を身に着けているか、
相手の服からどういう立ち位置にいるか、を見抜くのはお手のものだ。
品や育ちといった人格の本質を抜きにすれば、
服で大方判断できるし、服で自分を表せるのである。

これと同じく、どのスーパーに出入りするか、
どの街に居を構えるかは、同じこと。
高級住宅街に住み、食材も高級なら、「やっぱり」なのである。
小洒落た恰好の婦人が安売りスーパーにいれば、
「親しみやすさもあるのね」とならないだろうか。

服が、スーパーが、街が、
良い悪いではなく、
何を選びたいか、である。
行動によって人となりが透けて見える。

とさんざん、自分たちの未来の生活設計に
夢を膨らませた。
そして白熱した1時間の舌戦の末、
タイトルにあるように、
KINOKUNIYA
とはいかなくとも、
成城石井は死守しよう、がその日の着地点。


「それで、あなたはどのスーパーがいい??」
というわけ。